記憶は思い出になりくさって
最近気に入って着ている柄シャツはおじいちゃんが着てたもので、もうおじいちゃんはぼくが中学生の時に亡くなってしまったんだけど、未だにおばあちゃんから手直しされたそれをもらったりする。
ぼくはだいぶおじいちゃんこだったこともあって、愛着を持って着ている。
形を持ったモノには良くも悪くも思い出が残る。
隣を歩きながら一緒に公園にあそびにいったこと、近くのショッピングモールでおもちゃを買ってもらったこと。煙草を吸い終わるのをまってたこと。
だから使い古したって捨てられないものもあるだろう。それは自分にとってもはやモノではなくなって、思い出そのものになっていくような、そんな心地よいカケラになって自分のどこか一部になっている感覚になる。
思い出すきっかけがないと忘れたまま思い出さないぼくらは、ひょっとしたら無意識のうちにこわいのかもしれない。
大切だったおじいちゃんのことも、誰かさまとの思い出も、忘れていってしまうようで。
だから反対に忘れてしまいたいことは思い出すきっかけになるモノを全部捨ててしまった方がいいんだっておもう。新しい大切な思い出をちゃんとしまえるように。忘れたい思い出を置いておく場所なんてつくってやるものかー。、
でもやっぱ忘れたくない思い出はモノと一緒に持っていたいなぁ。
きっとこのシャツもおじいちゃんといろんな場所に行ったんだろう。
これからはぼくといろんなとこ行こうな〜〜柄シャツくん
あでゆ
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