雨も水ってことはさ
音楽なんてものに携わらせていただいていると自分のそして誰かの"才能"はどうしても意識してしまう。
自分はこの人の下位互換だ。と感じたことはあるだろうか。腹部を殴られるような鈍痛。
何度味わっても膝をつきかける。よろける。何も持たないと暗い底で息をしていたぼくのやっと見つけた光、それをゆうに超える光、一瞬の絶望感、そして思い直す。そんなのあって当たり前だ。ぼくはそれをずっと見ていたのだから、違う世界だと、届かないとただ暗い底から上を眺めていた。でも違った。やるか、やらないかだった。
同じ土俵に立つ為にやっている。立つ場所が変われば悩みも喜びも変わるだろう。
今更絶望することじゃない。歩みを止めるべきじゃない。それこそが奴らの作戦、止まってしまえばそれを超える1%の可能性も0に変わる。
ぼくはいつも見えない何かと戦っていないと存在できないのかもしれない。
よく世の中見えてますって顔したお洒落おじさんとかが言う。
他人と比べることはナンセンスだよ。自分は自分でいいじゃない。
わかるよ。ぼくだってそう思う。
それでも自分の輪郭を知りたくて手を伸ばすその時、しっかりとぼくの手には誰かという定規が握られている。比べたい比べたくないではない。比べてしまっている。
きっとこれはやめたいってやめれるものではないのだろう。やめれるときはきっとふとやめてたりするんだ。
ここから話は回れ右するのだけど、まわれーみぎ!するのだけど
精神健康上よろしくない心が続いているような、そんな時は思い出してほしい。ぼくたちの身体の60パーセントは水分だ。
身体の半分以上が水、水である。うん、それ、その水。水のくせに歩いてるのすごくないですか?尊べ?もっとたっとぶべきでは?
あなたが自分を誰かの下位互換だと思い知らされるそんな日も、ぼくはあなたを水にしてはがんばったんじゃんと褒めてあげます。
あで
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